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2012年 04月 07日
もう四月だというのに、今週、日本海で発生した爆弾低気圧による恐ろしいほどの風で車庫のトタンがほとんど剥がれてしまった。幸いにも他人への被害がなかった。また、畑においてある手押しの耕運機も、ビニールの覆いがどこかへ飛んで、無くなり、横転してしまったし、家の雨樋はさんざんに破損した。停電も3度ほどあった。昨日、今日と、まだ雪が舞っている。あまりにもさえない気候で、疲れのとれる暇もない。ラジオやテレビで各地の桜の開花の便りを聞き、見るにつけ、嫌味にさえ思えてくる。
しかし、先月観た映画「RAILWAYS」は面白かった。考えさせられる映画だった。とくに三浦友和の演技が重厚で、北陸のまだ雪の残る暗い風景と、定年という人生の一区切りを終えて、再スタートにたつまでの運転手とその妻の日常が、ドラマチックに、そしてたんたんと描かれていて感動した。 #
by pccmiya
| 2012-04-07 17:22
| 暮らし
2012年 02月 08日
毎日の雪かき、雪降ろしにすっかり疲れてしまった。
今朝3時頃から、右腰部の神経が痛み、眠れなかった。 こんなことは今まで経験したことがない。 私が産まれた日は大変な大雪だったと以前伯父さんから聞いた。腰くらいまである雪をかきわけて父が私の顔を見に来たと言う。 昭和38年の豪雪時は、2階の窓部が道路となり、人が行き来していた。1階は真っ暗だった。 弘前の雪もすごかった。これ以上車での移動は危険だと思い、午後2時頃だったが、眼に入った旅館に飛び込んだ。 青森では車で移動中、昼間なのに前が見えず、雪に閉じ込められるような気がした。 #
by pccmiya
| 2012-02-08 21:51
| 暮らし
2012年 01月 16日
さすがに雪には飽きた。重くて鈍い慢性の腰痛に加え、除雪でスコップを持つ左手親指が慢性の捻挫で益々痛く、腫れている。
痛みをこらえてスコップで道路側溝へ雪を捨てていると、前から来た80歳前後と思われるおばあさんが「雪はもういらん!!」と言いながら通り過ぎて行った。 #
by pccmiya
| 2012-01-16 19:50
| 暮らし
2012年 01月 06日
年末20日すぎから、やたらと忙しく、25日のオーバードホールでの第九交響曲『歓喜の歌』の合唱もあっという間に過ぎ、さらに、年始4日までの母のデイケアの休みもあっという間に過ぎ、その間、テレビもほとんど見ず、携帯ラジオとともに、気がつけば今日は6日。。。
今日、初詣の後片づけで忙しい、人影もまばらな、近くの神社へようやく初詣に行ってきた。 なにはともあれ、今年は雪があまり降り積もらないように願うばかりである。 #
by pccmiya
| 2012-01-06 14:59
| 暮らし
2011年 12月 06日
このお地蔵さんは、じいちゃんとばあちゃんが父の名前も入れて、とある寺院の境内に寄贈した石仏である。
台座には3人の名前が彫ってある。 父は小さいときに養子に来たので、じいちゃんとばあちゃんと私には血の繋がりはない。 じいちゃんは私が産まれる数年前に死んでいるので、写真でしか知らない。 ばあちゃんには、結構叱られもしたが、私のことを「だいじごはん」と言って可愛がってくれた。 その言葉の意味を、「大事な子供」の意味じゃないかと思い当たったのは、実は社会に出てからのことである。 ばあちゃんは私が中学校3年の修学旅行中に死んだ。 家に帰ったのは葬儀の日だったような記憶がある。 母方のばあちゃんが手伝いに来ていて、台所で、「泣きたいだけ泣かれ」と言って背中をさすってくれた。 やたらと悲しく、寂しく、泣いても泣いても寂しさとくやしさがまた湧いて来て、また泣いた。 #
by pccmiya
| 2011-12-06 19:52
| 暮らし
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